2011年3月24日木曜日

責任

東北太平洋沖地震の発生からそろそろ二週間。
被災された皆様に置かれましては、心よりお見舞い申し上げます。

テレビも平常運転に戻り、ワイプも少なくなりました。
水道から放射性物質が検出されたりしてますが、関東には少しづつ日常が戻りつつあるように感じます。



少し前、個人的に少し気になるニュースがありました。

最期の贈り物になった指輪。
ご遺族の方は指輪を見る度に、この地震を思い出すのだと思います。

指輪は、誕生日や結婚等、何かの記念品として贈られる事が多々あるものです。
謂わば、記念品は「思い出の外部記憶装置」です。

指輪に限った話ではなく、家でも服でも庭の石でも「物」には全て、思い出を記憶する力があると思います。(人間主観な話)

我々の作る物は、人の命を救ったり渇きを潤したり空腹を満たしたりすることは出来ません。
しかし作った物が将来誰かの思い出を記憶して、もしかしたら心を救う事はあるのかもしれない。

そうであるなら、僕はそこに物作りをする事の、誰かの人生に影響を与える事の責任を感じます。



このニュースに書かれている指輪は本来嬉しい思い出を記憶する筈だった。
しかし地震というイレギュラーで、悲しい思い出を記憶してしまった。

もしかしたら自分の作品も、イレギュラーな事態に遭遇し、それを記憶してしまう事があるかもしれない。
その時、自分には無いが出来るのか…

何も出来ない気がします。


だからこそ、無価値な物は作れない。

常に誰かの人生に価値を附与しているという事は、忘れちゃいけない。そう思うのです。

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